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上鉄どんど焼きの歴史

鉄町は上鉄・中鉄・下鉄の三つの町に分かれています。町名は鉄町で統一されています。
どんど焼きも上・中・下に分かれて行っています。近年中鉄はどんど焼きを中止しています。
一般的にどんど焼きは小正月(1月の15日前後)に行っているようですが平成11年まで
は1月15日は成人の日の祝日で、鉄町ではこの日をどんど焼きの日と決めていました。

平成12年からは成人の日が1月の第2月曜日となったので、1月の第2日曜日を中心に
前後に行うようになりました。
小正月は正月行事の最後で、どんど焼きで締める、と言ってよいかと思います。
門松や正月飾りを集めて燃やし、歳神様(としがみさま)が煙になって天へ帰る儀式なのです。
上鉄では古くから上鉄村に伝わる行事の一つであり、五穀豊穣と家内安全を祈願して
行われたものであります。神仏の古いお札、しめ飾り、書初め等を集め、御神火
「お焚き上げ」によって神体と共に焼き清め、焚き火で大きなダンゴを焼いて子供たちが
食べると風邪をひかない元気な良い子に成長すると言う伝説があります。

歳の神
上鉄の歳の神(どんど焼き)は中里郷土史によると、江戸時代より地域一帯におこなわれ、
村ごとにより多少の差はあった。正月の門松、お飾り、古いお札等を各戸より持ち寄って
1月14日午後3時ごろより是に火を付けて燃やし、その火煙に小学児童は書初めと言う
元日試筆を空高く昇らせた。高く舞い上がったほど習字が上達すると信じた。家の内には
樫の枝に団子,蜜柑をさして飾り、子供は団子3個づつ木の枝にさして、とんどの火で
焼いて他人の団子と交換した。・・・と書かれている。
とんどとは、お正月に迎えた神様をお焚き火によりお送りすることから、家内安全・五穀豊
穣を祈る祭事でもあります。

鉄町では道祖神をお祭りし、どんど焼きの時には道祖神のそばで行い、道祖神にお供えして
いる大きな丸い石をどんど焼きの中に入れます。鉄町には道祖神が二つあります。上鉄と
中鉄です。何れも石像で、中鉄の道祖神は、中鉄から鶴見川の観念仏と言う橋まで行く畔道
の途中、畳1枚程の広さが30センチほど高くなっていて此処に安置されていました。この
道祖神は庚申幢の青面金剛で、そばには大きな丸い石がお供えされていました。昭和30年
代に耕地の区画整理が行われ道祖神は現在の「くろがね青少年野外活動センター」に移され、
一時は此処の広場でどんど焼きをしていましたが、現在はどんど焼きはやっていません。
青面金剛も野ざらしになっています。石像は酸性雨にあたると石が崩れて行くので心配な
面もあります。

上鉄の道祖神も庚申幢の青面金剛ですが、こちらは祠が出来ていてこの中に安置されていま
す。昭和26年まで(長老の話)は上鉄は道祖神のそばでどんど焼きを行っていましたが
環境的にだんだんと出来なくなりました。昭和27年から鶴見川に近い農家の田んぼや畑
をかりて行っていました。ところが平成12年6月に横浜上麻生線新道上鉄地区が完成し
交通量が増えてきた。子供たちが信号のないところを渡ることを予知し、危険を考えて
新道より北側で行うようにした。しかし北側は人家も多くバス通りに面しているので
煙や灰がでないよう、また、豪快な燃焼力が出るよう、コンピューターに工夫したデータ
を入れ、結果をデジカメで収録し、煙や灰の出具合を観察してきました。どんど焼きで
一番の心配は風の向きと強さです。上鉄のどんど焼きは20名以上の実行委員会の人達が
組立マニュアルによりモニュメントを正確に作り上げていきます。前日どんど焼き会場に
燃焼材を搬入します。当日センターポールを搬入します。燃焼材は前年の9月ごろから準備
をします。